[文章] 平間貴大×齋藤祐平「フィードバックと残留物」に関する話


平間貴大×齋藤祐平「フィードバックと残留物」に関する話

*2012年4月の二人展にて配布した文章。

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「フィードバックと残留物」は、平間が演奏者としてフィールドレコーディングを行った際の録音作品「拝啓フィールドレッコーディング様」と、齋藤企画のライブペイントイベント「間欠泉ソロ」を合体させた展覧会となります。お互いの作品/企画の中で行われている物事の構造を検証しすり合わせることで、単体のコンセプトだけでは見えてこなかった部分を発見し形にしていこうという試みです。


さ:話を始めましょうか。

ひ:とりあえず何年くらいの話だったかな、「拝啓〜」は2008年くらいかなリリースしたのは。

さ:すごいね、4年ぶりくらいの話か。

ひ:いや、webで確認したら2007年の4月1日だった。

さ:5年ぶりに考えるわけか「拝啓〜」について。俺と平間が知り合ったのが2007年くらいだよね、それくらいには「拝啓〜」の元になったライブはもうやった後だったんじゃないかな。Auviss(※註1)でCDを入れる為のケースを手に入れたっていう話をしていたよね。

ひ:あのときはAuvissに結構通っててビデオを借りてたんだけど、そこでDVDのケースが安く売っててそれをケースにしたんだよね。

さ:5年ぶりくらいにさらなる展開があるわけだ。おれは今回間欠泉ソロ(※註2)を「拝啓〜」に合体させてやってみようと思った。

ひ:まずこの展覧会のきっかけは齋藤君のアイディアなんだよね。去年の11月くらいかな、最初に少し話した後はメールでやり取りして進めていった。そして付録に文章を付けようという事になってこの対談が決まった。間欠泉(※註3)自体はいつからはじまったの?

さ:間欠泉ソロっていうのは去年の話だから、1年くらい前の話なんだよね。間欠泉自体は一昨年の11月のはじめ。間欠泉ソロは間欠泉としては4回目くらい。

ひ:ソロになるのが早いよね、4回目でもうソロなんだというか。20回とかやって、よし一人でやってみようっていうのではなかったんだ。

さ:その切り替わりは早かった。1回目は井の頭公園でやって、2回目に素人の乱12号店、3回目は美学校で。美学校の時は俺の個展(※註4)の関連イベントとしてやったんだけど、俺はインフルエンザで結局行けなかった(笑)。その時に小田島等さんとかCircle X(※註5)に参加してくれたみんなとかが入ってくれて。で、それくらいからだんだんゲストを呼んで人数を増やしていく方向になっていくんだろうなと思ったから、それだけだとあんまり面白く無いと思って、もう少し幅を持たせたくてソロを4回目にやったんだよね。「第四表現主義(仮)について語る会」(※註6)の時にも言ったんだけど、間欠泉はある指標のもとにイベントとして規模を拡大していくよりも、間欠泉っていう入れ物を作って、その入れ物がどれだけの振り幅を持ちうるのかというか、ライブペイントイベントという出来事の中でどういうことが出来るかっていう実験の面があるから、パッケージングの仕方がいろんな形を持った方が俺としてはやりがいがある。

ひ:「第四表現主義(仮)について語る会」の時は齋藤君はあまり多くを話せなかったと言ってたね。パンク・ムーブメントとかDIYについても触れておきたかったと終わったときに言ってたよね。話を戻すと、ライブペイントのイベントっていう出来事の中で振れ幅を作りたいと。そこでイベントとしてちょうど良い人数があって、それで続けていくっていうのがやりやすいのかな。人数で勝負しているわけではないということだね。

さ:お祭り騒ぎみたいなのも面白いんだけどね。そういうタイプはHIGUREでやったの(※註7)が一番ピークだったかな。あの時は一度人数をたくさんにしてやってみようと思った。でもいざやってみると、意外におとなしく場が進行していった感じがあって。それまでだったら「この人とこの人の紙を交換してみよう」とか俺が場をかき回すことができたんだけど、HIGUREだと会場が一階二階に分かれてるし参加人数が多いこともあって、どうしてもいろんな島が出来ている状態になっちゃうんだよね。それだとあまり事故が起こらない。これは参加者が悪いんじゃなくて、企画者の俺が工夫すべきところなんだけど。

ひ:第2回の素人の乱の時は人が入り乱れている感じはあったね。作村裕介が見に来ていて「俺も何か描こうかな」とかいって一輪社さんの絵を描いているのが印象的だった。ある程度自分の目が行き渡る範囲の人数で、自分が攪拌していくっていうのが良いのかな。

さ:そうだね。大人数でやる場合の改善案も考えていきたいけどね。

ひ:なんか人数が多ければ多いほどぐちゃぐちゃ勝手に混ざり合わさって面白そうなんだけど、実はやってみるとそうではなくて、人数が多いと勝手にグループになってそのまま混ざらないでイベントの終わりまで行ってしまう。そうすると間欠泉ではなくなってしまうんだ。

さ:うーん、「間欠泉はこうあるべきだ」みたいなのは別に無くて、まあ俺が自分の感覚で勝手にしゃべってるだけなんだけど…もっと混ざり合わさるを得ない状況になったら面白いよね。小さいイベントがいくつか同居しているような状況だとあまり面白くない。神保町のislandLAPUTAでやった時(※註8)は、それの後にあるアート物産展(※註9)に出さないかって誘われて、それに出すための本の原稿制作をイベントとして成立させてみようっていうのがあった。

ひ:そうだったんだ。

さ:それがあるからHIGUREの時みたいなお祭り的な間欠泉とは意味合いがちょっと違う感じなんだよね。本との関連性からイベントが派生していった。

ひ:その時には何かつくるものがあるから「これも間欠泉でやっちゃおう」っていう感じなのかな。

さ:そうそう。本を作る課程を公開制作でやるっていう面白さもあるし、間欠泉を本の制作の過程の一部としてやるっていうのも面白いし。

ひ:そこは中心が入れ替わったりするんだ。

さ:入れ子状態になったりする。

ひ:いろんな解釈はできるけど現実は一つというのが良いよね。

さ:そういうのがあると出来事としての密度が増して、やる気も出るんだよな。

ひ:原稿の制作ももちろん大事なんだけど、原稿の制作をイベントでやるっていう大事さもある。間欠泉に違う意味を持たせようっていうのは原稿制作の時にいきなり出てくるんだけど、他のイベントではあまりそういう感じではなくて、もうすこし内容が大事というか、この人とこの人が一緒にやる、そしてその作品が面白いっていう感じ?

さ:そうだね、作品・作家本意というか。

ひ:間欠泉のソロっていうのは今後間欠泉が続いていくとしてもずっと特異な点として残るよね。

さ:メンバーの組み合わせの妙みたいなのは、ソロだったらやりようもないしね。

ひ:間欠泉っていう言葉の中にもう一杯人が居て絵を描くっていうイメージがついているからね。だからこそわざわざソロって付けるんだろうけど。だけどソロの場合はust中継が大事だったね。

さ:ネット環境が大事だったね。「フィードバックと残留物」でも映像を使うよね。

ひ:記録映像的な使い方だよね、これが映像作品というよりは。

さ:記録でもあるし作品でもあるというか、どっちでも取れると思うけど。

ひ:作品制作現場っていうような感じかな。

さ:遠巻きに撮影した映像でも、なんとなくジャケットを作っているというのはわかる。

ひ:パンフレットも同じくらい重要だよね、映像だけではなくて。

さ:制作現場では「拝啓〜」でやっていることと間欠泉ソロが同じ場所で別々に進行しているんだけど、俺が平間からカセットをもらうところで繋がる。

ひ:ぼくからしたら「背景〜」のジャケットを作ってもらうという感じかな。齋藤君としては間欠泉ソロの素材が来たみたいな。カセットもキャンバスの一部というか作品の素材だよね。

さ:「拝啓〜」はカセットだよね、元は。

ひ:そうそう。カセットで録音した。ちょっとトイレに。


ひ:というかこの「拝啓〜」は5年前の話になるんだね、この作品はちょっとねじれているところがあって、フィールドレコーディングのつもりは全くなかったんだよね。

さ:演奏としてやっていたと言ってたね。

ひ:そう、ことの初めは日本の音響派の音楽を聴いたときの衝撃。ライブではほとんど音がならないような音楽が普通にあって、僕はもうこの先は音楽は要らないんじゃないかって思った。ただ本人達はあまり自分達の事を音響派だとは言わなかった。そういうのも面白いよね。それまで僕はノイズ音楽を作ったり大音量でライブをやっていたんだけど、自分の演奏も変わった。もうこの先の音楽は演奏者は要らないと確信したんだよね。おおざっぱに言えば音響派みたいな演奏を真似て、このまま音量を下げていっても音を出すのは結局演奏者。それではなにも変わらない。そこで音をもっとリダクションさせていくとどうなるかっていうと、演奏者が出す音が無くなって空間の音だけが残る。それがずっと続けば良い。それで録音をしていたわけね。録音をするんだけどあくまで演奏者として録音する。ギターの代わりにレコーダーを持つ、ピッキングの代わりにレコードボタンを押す。(※註10)

さ:平間にも音を出していない演奏っていうのはあったよね。

ひ:あった。歩いていて後ろを振り向くだけの曲とか、壊れたミロのヴィーナスを置いてその前に座ってるだけの曲とかね。音の代わりに音以外の物や事を使うっていう音楽だね。そういう方向性の音楽もやりつつ、さらに音楽の方向に戻ってくるというか、音楽機材を使いつつ音楽をやらないっていうこともやりたかった。演奏者不在の演奏をやるのには録音機材がちょうど良かった。そして音楽に対しての反動が強かったから、音楽的な音をずっと避けるようにして録音した。街中では普通に聞こえるよね、スーパーも商店街も。そういうものを避けながら録音をしていた。どんな音が好ましいかっていうと作業音が一番適していたのね、出そうと思って出していたわけではなかったから。音を出そうとして出している音ではないものの方が良かった。あとは「何かいい音があるから取りに行こう」みたいなものも嫌だった。それはただのフィールドレコーディングだからね。それとこれもフィールドレコーディングだけではないんだけど、音をどんどんハイファイにしていくわけね、DATで録るとかマイクを良い物にするとかね。もうそんなのばかりだからね。そういうものではなくて汚い音とか雑なものの方が良かったね。

さ:今やってるDJ qwertyu(※註11)でも音質を下げる方向性だよね、mp3だけど。

ひ:そこは繋がってる。あとはデジタルの場合は音質を下げるとファイルの重さが軽くなるっていうのもあるかな。あとはフィールドレコーディングって2000年後半くらいになんか盛り上がっていたんだよね。ライフログとかの話もそれくらいに出てきたのかな。個人でも24時間記録できるみたいな。話を戻すとハイファイに向かう方向が嫌だった。でもそういう活動っていうのは、本当は「音楽」っていうのがあってその下で音楽を避けていたというか、音楽ありきでハイファイなものを避ける。っていうのがあった。

さ:愛憎入り交じっていた感じだね。

ひ:でも録音している現場では「音楽をやっているけど音楽を避ける」っていう事ではなくて、もっと近視的に音楽を避けていた。そこで一度その避けている音楽を普通に録りに行こうと決めた。そしたらちょうどその時にセッションの誘いがあって、そこに行くことにした。10人くらいのセッションで、ギターとかドラムとかピアノとかオーソドックスな即興演奏だよね。そこでぼくは録音をした。セッションが始まったら録音ボタンをおして、終わったら消した。一番避けていた中に入ってみるっていう試みだったんだよね。だから他の録音物とはちょっと違う扱いになるんだよね。

さ:そうだよね。

ひ:それまでは録音済みのカセットもメモも何も無しでそのまま積み重ねていただけだったからね。時間もばらばらだし。

さ:ラベルも貼ってなかったしね。

ひ:これは何年何月に作ったとかも書かない方がよかった。ナンバリングは後半に始めたんだけど、それまでは付随するようなものはない方がよかった。

さ:俺もカセットテープでフィールドレコーディングを一時期やってたけど、それはジャケットが作りたくて、そのためにカセットが必要だった。カセットには記録として録った場所とか日付は書いていたけど、音質は重要ではなかったな。内容は別に何か音が入ってればよかった。スケッチするのでも、旅行中とか結構スケッチするんだけど、普段乗らない地下鉄とかに乗るとスケッチしたくなるのね。そういうのは記録としても重きを置いているから、カセットと似た感覚でやっていたかな。

ひ:ぼくも後半はだんだんそういう風になってきた。でもそれがふつうの状態だよね。はじめは演奏の為にやっていたから全然考え方が違った。録音以外はなにもいらなかった。録音が終わって残ったカセットをそのままゴミ箱に捨てていた時期もあったからね。捨てるのも嫌になって、カセットを入れっぱなしで上書きし続けていた時期もあった。録音以外なにもないっていう状態。

さ:俺はジャケットの為だったからね。「残留物」の場合は平間が録音の作業をやってくれるから絵を描くのに集中できるな。ジャケット制作で面白いのが、普段絵を描いている時とは完成とするOKラインが違う感覚があるんだよね。一枚の絵画として見ると物足りないようなものでも、ジャケットにするとこれいいなと思えたりする。それがすごく不思議で。扱うメディアによって絵に対する感覚がこんなにも変わるのかと思った。この辺はカセット以外にもTシャツとかステッカーとか、いろんなメディアで実験していきたい。あとカセットはデジタル録音と比べると目に見えてテープという物質がジリジリ進んでいくのがわかるから、何かを作っているっていう実感がある。自分の作品という意識はあるのに、それが機械によって自動で作られていくって感覚は新鮮だったな。

ひ:ぼくは5年を経てそれまでの音楽への愛憎入り交じる感情みたいなものは無くなってしまった。「拝啓〜」の後くらいからは、それまでは具体音を使っていたんだけど、音楽ソフトのサンプル音源を使うようになった。そこから方法音楽を作るようになった。だからけっこう事務的な作業になるかもしれない。

さ:俺が絵を描く時に立てる音っていうのは入っているけどね。

ひ:音だからね。

さ:俺が作業している音が入っていて、それに俺がジャケットを作って、その音がまたカセットに入ってっていうのがフィードバックっぽいのかな。

ひ:ジャケットを作っている音が入っているからね。

さ:別々に進行しているはずの作業が、録音したカセットを俺がもらうって点でつながるだけで面白い構造が出来る。今までの間欠泉の中でもかなりねじ曲がったモノができるかな。最近はお祭り的な間欠泉をやるつもりがあまりなくて、違う感じでやりたいと思ってたからこれはいけるなと思った。

ひ:おれもこの「拝啓〜」自体がちょっとねじれているからね。これを作ってからはあまりモノの制作はしていないんだよね。それまではコピー用紙に大量にドローイングを書いていたりフィルムで写真を撮りまくっていたりしたんだけどそれが無くなった。デジタルでも携帯で動画を撮りまくってYouTubeにアップ(※註12)していたんだけどそれもやめた。

さ:すごい量を作っていたよね。

ひ:この後には曲はいっぱい作っているんだけどね。作り方が全く変わってしまった。

さ:物としては残らなくても、別の形で作り続けていると。

ひ:その曲はサンプル音源をいくつか組み合わせるっていう作り方なんだけどサンプル音源だからはじめから長さを持っている。フィールド録音の場合は常に予期しない音がばーっと入ってくる。サンプル音源ははじめから用意されている。素材もその時にいきなり現れたものではなくてはじめから配布物を使用するっていう事ね。


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平間貴大×齋藤祐平「フィードバックと残留物」展 / Feedback and Remnants

会場:棚ガレリ/TANA Gallery Bookshelf(東京・神保町)english new window
会期:2012年04月01日 - 2012年04月21日
時間:13:00-21:00

On a legacy technology cassette tape, painter Yuhei Saito and (un-)musician Takahiro Hirama will hold a collaboration project at TANA Gallery Bookshelf. The show will be held as the archive of live-painting/recording session on the opening day, with cassette sleeve artwoks to fill up the gallery space.