[出演] 作村裕介木版画展「生活」 オープニングトークショー




第二部

作村:じゃあトークの第二部に移ります。別に僕達が、あの、

平間:僕達がしゃべっててもお酒が呑みたくなったら呑めばいいし。

作村:なんで俺の言いたいことわかったん!

平間:なんでもわかるよ。ご飯食べたかったら食べればいいしね。入場料二回払いたかったら払えばいいしね。

作村:(笑)。ということでよろしくお願いします。

平間:第二部が始まりますよってことを言いたいわけだよね。

齋藤:それで第二部行く前に、第一部でしゃべり忘れたことっていうのを。

平間:あったね。

齋藤:画面の縁についてちょっと気になって。《釜ヶ崎のクマさん》(※8)。これは普通に四角い画面に描いているじゃない。でも他は画面の縁が丸かったりして、デザイン的意識を感じさせるものがあるんだけど。

平間:《御徒町のガード下》(※9)は、グニャグニャだしね。

齋藤:そうそう。違いってあるの?自分の中で。こうした方がいいだろうとか。

作村:いや、ないですね。

齋藤:完全に感覚でやっているの?

作村:そうですね。

齋藤:完全な長方形は《釜ヶ崎のクマさん》しかない。

作村:本当にそういうのは悪い所でもありあれなんですけど。版木を置いて彫り始めるときに、その作品だったら四角にしたら余白が空きすぎてあれやなぁって思ったときに、こういう感じでやるとかで、全然考えてやってない。

会場:でも《コンクリート圧送工》(※10)は周りまでわざわざ削っているわけでしょう。それは縁ができるから?

作村:そういう質問されたら困るんですけど、考えていないんで(笑)。そのときそのときで。

平間:そうなんだ。気づいたらこうなっていたということか。

齋藤:《釜ヶ崎のクマさん》とか長方形だよね。なんていうか、背景が丸かったりしたらその枠に意識的に収めているっていう感じがするんだけど、長方形だとまだ広がっていく感じが出てくるんだと思うんだよね。収めていない感じというのが多少ある。それがクマさんの絵を見たときにクマさんのいろいろあった人生を想像させる余地を与えているというか…。木版になってすげー落ち着いた絵になったなぁっていう感じ。

作村:すごい、、そうです。

平間:(笑)。違うなら違うって言って。

齋藤:特に膨らまなかったね(笑)。

作村:これでいうと顔の皺とか髭とか、今まで生きてきた中のそういうこと。あとこれはベンチコートの内側のモアモアの所。モアモアも毛が無くなって擦り切れているみたいになっているんですけど。スケッチだと線でしか表現できなくて。木版画も線画なんだけど、ここのこういう細かい所って俺は色にもなっていると思っていて。刷ったときにここだけ薄いみたいな所。

齋藤:マチエールってやつですね。

作村:そういうことですね。

会場:(笑)。

平間:違ったら違うって言ってください。

作村:マチエールになっていて。そういう木版画の深みっつーもんがあるんじゃないかなと思っている。

平間:木版画の深みがね。あと全体的に思うんだけど、黒っぽいんだよね。

作村:あー、それはなんかすごい色んな人に言われて。最初全然意識してなくて。このテレクラのやつも以前阪本勇さんとトークをやったときも言われて。阪本さんってそこにいる、坊主の写真を撮っている人とトークショーしたときも黒いって言われて。

平間:髪型を最初に言わなくてもいいんじゃない(笑)。

作村:俺は全然意識はしてなかったんだけど。木版画の紙ってすごい高くて一枚800円くらいするんですね。木版画をやり始めたとき、俺その紙にすごい手こずって、一気に十枚くらい失敗しちゃって。

平間:(笑)。

齋藤:うわぁー8,000円。

作村:これはなんとかしないといけないと思って、インターネットで調べて木版画の先生の所に指導してもらおうと。

齋藤:メールしたの?

作村:「教室に行きたいんで教えて下さい」って。それで教えてもらって見せに行ったら「君の木版画は小学生みたいだ」って。何でかっていうと「黒が多すぎる」と。みんな木版画やったと思うんだけど、小学生の木版画って線だけでやってて黒いんですよ。その人は何とか会の大先生なんだけど。

平間:版画会じゃないの?

作村:そう(笑)。日本版画会でその頃会長やってた人。

齋藤:えーそんな偉いの。団体の数少ないの?

会場:メインの団体が一個あって、サブ的に木版画中心なのが一個かな。

齋藤:じゃあ二個くらいある中のトップなのか。

作村:宮沢賢治の本をやっているような人で。その人に「こうやって先生みたいな木版画の人たちがいるけど、やっぱり小学校の木版画の作品にはかなわん。」って言われて。

会場:結果的に褒められたんだ。

齋藤:お前はいいよ、みたいな。

作村:そういうふうに言われて、「おっ」って思って。

齋藤:「おっ」って思ったんだ(笑)。

作村:俺は意識していなかったんだけど、じゃあこのままでいいんだと思って。だからつってなんだって話だけど。だから黒いとか白いとかはそういうのは一切気にしてないです。

齋藤:ここに資料があるんですけど。僕は全然日本の版画の歴史とかに対して無知だったんですけど、作村が今回木版画の展示をやるってことで色々調べたんです。さっき作村が小学生の版画みたいだと言われたって話があったけど、小学校で木版画を彫った経験のある人って結構いると思うんですよ。でもみんなが木版画を刷った経験をあるっていうのは、一体なんでだろうなって思って。それで木版画と一般民衆の関係みたいなことを、ちょっと突っ込んで調べてみようと思ったんですよ。こないだまで東京国立近代美術館で「実験場1950s」(※11)っていういい展覧会やってたじゃないですか。

作村:わかんないっす(笑)。

齋藤:やってたんですよ。「実験場1950s」では、だいたい日本が原爆を落っことされた1945年から、60年代のネオダダとかの前衛芸術運動が生まれてくる直前ぐらいまでの時期が取り上げられていて。この資料は会場で配布されてたんだけど、すげー充実してる。この中の3枚目に「記録・運動体」っていう項目があります。 「1950年前後に民衆の中に深く浸透していった日常生活を記録する運動。その起爆剤となったのが無着成恭が編集した中学生の作文集『山びこ学校――山形県山元村中学校生徒の生活記録』の刊行であった(1951年)。」。 『山びこ学校』は岩波文庫でも出ているんだけど。「またたく間に生活綴方運動が教育の現場に浸透し」。生活綴方運動は生活の色んな機微を児童に文章として記録させる教育運動ですね。大正時代に入る前後くらいから運動自体は存在していて、その児童の作品などを載せて指導していく雑誌とかも刊行されているんですけど。えっと「生活綴方運動が教育の現場に浸透し、さらには大人の綴方ともいうべき主婦や労働者を中心とした生活記録運動へと発展していった。」と。そして「版画運動」っていう小項目がここにあるんですよ。

作村:へぇー。

齋藤:「1949年、戦前のプロレタリア美術運動の流れをくむ鈴木賢二、小野忠重、上野誠、大田耕士らによって『日本版画運動協会』が発足した。」。 プロレタリアというのは一般大衆というか労働者っていう意味合いで、簡単に捉えれば。プロレタリア美術としての木版画運動は戦前からあって、中国にも魯迅とかが提唱した木刻運動っていうのがあって日中間でお互い影響し合ってたりしてる。とりあえず1950年代前後に民衆の運動を記録しようとした版画運動があったと。そういうのが「実験場1950s」にあったなと思い出して。 じゃあ民衆版画運動についてもうちょい調べてみようと思って検索してみたら、論文が出てきたの。友常勉さんっていう部落解放運動とか本居宣長についての本を出されている人が書いた、「中国木刻から版画へ――戦後日本の民衆版画運動・序説」という論文が出てきたんです(※12)。それはさっき言った日本版画運動協会などの活動について、もう少し詳しく書いているんだけど。北関東、栃木出身とかの作家たちが多く集まってて。

平間:北関東の人たちが多かったよね。

齋藤:そうそう。当時北関東には茨城の高萩炭鉱争議(1946年)、日立争議(1949-50年)とかの、社会運動における争点が集中していたらしくて。そこに版画という手段でどう関わっていくのかを大きな問題のひとつにしていた。版画っていうのは木の板と彫刻刀があれば彫れてすぐ複製ができる、民衆が手軽にできる複製技術だったわけですよ。2009年に目黒区美術館で炭鉱をテーマにした「‘文化’資源としての<炭鉱>展」っていう展覧会があったんですけど、そこでは北関東に限らず炭鉱の労働組合が出していた広報誌みたいなのがいっぱい展示されていて。それも表紙が木版画だったりした記憶があるんですよね。 「政治課題や啓蒙的な関心にとどまらず、北関東という農村社会と農民大衆を表現するというテーマを、内面的な責務として背負っていたとも考えられるのである。しかも、それが同時代的な政治闘争の関心に支えられていた。」。 この人たちは自分の住んでいた地元をベースにして、そこで起こった政治的な問題とかにも言及しつつ作品を展開していったというわけなんだけど。で…、作村が版画に置き換えているものっていうのは、政治的な動機から生まれるものとはちょっと違っていて。まぁ言っちゃえば昭和へのノスタルジーとか消えゆく風景だったりとか、なんかそういうものに惹きつけられていると思うんですね。

作村:そう。

平間:そうだね。複製っていう感じでもないしね。

齋藤:このまま掘り下げていくと日本の共産党の歴史とかと関わってくる話になっちゃうんだよね。そこまでズケズケ話しちゃうと作村の絵と離れてきちゃうなと思って、どこまで話していいものかなぁと考えちゃったんだけど。

作村:大衆的なもので木版画が出てきたというところと、自分が大衆をモチーフにして木版画に今取り組んでいることっていうのは共通している。俺はその話もそういう運動も知らなかったけど。こういう木版画に取り組みだしたのもそういう運動とも全く無関係でやっているのにも拘わらず、自分の中でしっくりくるっつーのは、やっぱり肉体労働とか庶民の生活とかに木版画っていうもののイメージがすごい合っているんじゃないかなって、自分の中ですごい感じていて。肉体労働とかもすごい体を使うこととなんだけど、木版画って絵のイメージもそうなんだけど、版画を彫るっていう作業自体の肉体的な痕跡みたいなものが木版画の絵から出てるんじゃないかな。それは他のアクリル絵の具とか油絵の具とかそういうものよりかは、一番出ているんじゃないかなっつーのはあって。

齋藤:そうだね。版画運動の歴史とかこの論文とか読むと、運動的なものに傾斜していくタイプの人と、象徴化された「郷土」を自分たちの生きる姿として定着させようとしていく人とで、結構論議があったりしたみたいだけど。 有名な「押仁太(おすにた)」っていうグループがあって。これは1950年くらいで、大山茂雄・鈴木賢二・新居広治・滝平二郎の頭文字を取って「おすにた」って読むんだけど。鈴木賢二は戦前から民衆版画運動に関わり続けていて、団体の指導者的な役割を担っていた。滝平二郎は切り絵でのちのち有名になって。『モチモチの木』の挿絵を描いている人。そういうイラストレーション的な流れも含まれてくるし、その文脈で言うなら作村のアクリル画やスケッチにまで遡るとベン・シャーンとか木村荘八とか…色々読み解こうとしたら面白いことはいっぱいあるんだけど。

会場(高橋辰夫):割込み失礼(笑)。僕も作村さんとは違うけど、日雇いでよく働きました。そういうところでよく思ったのは、労働者の人たちは政治的には保守の人が多いってことです。夢持っていつか俺も金持ちになりたいっていう成功欲求があって。でも、共産主義や社会主義の人には実はインテリが多くて、労働者と立場的に相容れないものがあるんですよね。彼らは労働者の側に立って世の中を良くしたい、君たちは金持ちから搾取されているから助けてあげたいって考えてる筈なのに、距離ができてしまう。本当は搾取する側である資本家の方が金や夢をくれるから、実際の労働者が加担しちゃうっていう皮肉を感じました。でも、そうやって理念から入っていくのではなくて、版画や創ることから現場に入っていく方が可能性があるのかなと。 身体性から労働者の側に入っていくと、共産主義機関誌の表紙に版画が出てきたりするのかなって(笑)。もちろん、作村くんがやっているのはあくまで労働現場に則したものを作品として見せたいのであって、政治的主張を込めたいわけでもないとは思うんだけど。

作村:全く考えたことがないですね。

会場(高橋辰夫):そうですよね。でも、結果的に出来上がったものが、労働運動なりのビジュアルと似てきているというところに可能性を感じるんです。

齋藤:それで思ったのが松本竣介なんだけど。これは松本竣介の、この前世田谷美術館でやっていた生誕100年の展覧会(※13)のカタログなんですけど。これすげーいいカタログなんですよ。

平間:いいカタログ。

齋藤:松本竣介は自分含め家族が新興宗教に傾倒してたりしたけど、政治運動とかにはそんなには熱心じゃなかったのかな。《立てる像》とかが有名だけど、僕は展覧会を見て風景の絵がすごい好きだった。同じ風景をすごい何回も描いているんだよね(※14)。それぞれタッチもかなり違っていて。作村は同じ風景を何回もスケッチを描いたりして、それを木版画に直す作業をしているわけだけど、結構ひとつの行き着く先のものが出来たら、それに至るまでのラフのスケッチとかにはあんまり価値を置いてないみたいな話を前にしたじゃない。松本竣介もラフみたいなのはいっぱいあるんだけど、同じ風景も何回も描いていて。空襲で焼けちゃった神田の焼け野原を赤茶色の絵の具で描いてる。油絵の具とかが統制される前に、壺に油絵の具を入れて地中に埋めて隠しておいて、ちょっとずつ掘り出しながら描いていた。そういう…消えゆく風景というか、作村のグッとくるというのとはちょっと違うチャンネルなのかもしれないけど、この風景はどうしても絵として定着しておかなければいけないっていう衝動がすごい伝わってきたんだよね。ちょっと抽象的な言い方になっちゃうけど。この展覧会見たときにすごい作村のこと思い出した。

平間:(笑)。良かったね。さっきの一番成功した一点とそれまでに作りつづけた数点の失敗作という話で、それは作村からしてみれば失敗作だから捨てちゃうという方向に行くんだけど。齋藤くんが作品を作る場合は成功と失敗が結構同じぐらいの価値を持ってて。全部展示ができるみたいな。そういうのは全然違うと思った、この二人が。齋藤くんは基本全部成功みたいな。

齋藤:全部成功っていうかこれはあんまりだなっていうのはあるけど。これはこの作品のラフ的な位置にあるから違うなっていうのはない。

平間:自分の中の作品カーストみたいなのがない(笑)。

会場:(笑)。

齋藤:作品カースト(笑)。それはない。

平間:でも作村の場合は割りとあって、一個成功したら他は捨てるぐらいの勢いがあるんでしょう。

作村:それは下描きってこと?

平間:そういうこと。その下描きって考え方自体を持ってないよね、齋藤は。

齋藤:持ってない。

平間:下描きと本番が完全に分離しているんだよね。

作村:そうだね。木版画の場合はそうだね。これは木版画にしようとして描いてる。スケッチでは絶対できんからっていうのは思っとって。家に持ち帰ってしなきゃ木版画はできんじゃん。だからなるべく木版画のスケッチは、さっきは捨てるって言ったんだけど。情報を極限に少なくした状態のスケッチをして持ち帰るとか。元々僕がスケッチをし始めたきっかけっつーのが、大竹伸朗の情熱大陸を見てなんですけど(※15)

平間:結構最近(笑)。

会場:(笑)。テレビっ子だなぁ。

作村:それが筆ペンでやってて、あっ俺もこれだなぁって思って。元々、コンセプトありきの作品が嫌になってて。大竹伸朗のスケッチって作品としての発表はあんまりしてないじゃないですか。

齋藤:してないのもあるね。

作村:絵を描くことを楽しんでスケッチをしているみたいなところが、画家ってやっぱりこういうことなんだなって。自分の必要としていない所っていうか、自分の作品とは無関係な所でスケッチをするっていうのが、絵を描く衝動とかそういうところに結びついとるなぁと思って。やっぱり俺もただ単純にグッときたところを描こうって思って始めたところだから。そういうところがすごい影響を受けてる。

平間:質問があるようです。

会場:何年か前までずっとやっていた、現場で対象を目の前にしてすごい稠密にスケッチするっていう方向から、家に持って帰って版画にするっていうふうになったのはどうして?

作村:あ、それはさっきも言ったかもしれないんだけど。パッと捉えた風景の印象を作品化したいと思い始めてきて。八百屋とかでスケッチを始めたら三、四時間とかずっとするから、色んな情報が入ってきて。それを画面に入れてしまうから、自分の一番ここを見せたいというところが、細密にすることによって離れていく感じがして。だから自分が本当に一番描きたい所をラフでスケッチをして、家に持ち帰ってその印象を立ち上げたほうが、自分にとって伝えたいイメージが残る。

齋藤:ろ過されるみたいな。

作村:そうそう。現場で長時間おることによって情報が入りすぎて。自分の本当の描きたいこと以外も入ってきて、それが邪魔になってきているから木版画に切り替えたっつーのがあります。

齋藤:そろそろ質疑タイムに入りますか?

会場(高橋辰夫):作村さんの年齢や、おそらくは中流なんじゃないかなと思われる生活感から考えると、作品における労働者や、喪われつつある「昭和」への眼差しが少し不思議な気がするんです。もしかしたら、今の等身大の目線や衝動ではなく、ある種のシミュレーションみたいなものかなと思うんですがどうでしょう?

作村:シミュレーションっていうのは?

会場(高橋辰夫):そうですね、言い換えると、作村さんの経験ももちろんあるとは思うんだけど、それ以上に、脳内で思っているだろう、本来あるべき「昭和」の幻影を、作品を通じて幻視しているような感覚を受けるということですかね。

平間:そうですね(笑)。

会場:それはエキゾチシズムじゃないかって話があったよね。

会場(高橋辰夫):そういう話があるんだ。

齋藤:要するに、自分の生活とはちょっとかけ離れたところにある生活っていうものに、何かしら憧れっていうか興味がある。

作村:それはすごいあります。すごいある。

齋藤:あ、やっぱりあるんだ。

作村:それは自分自身がそうだからとか、元々そういうわけじゃないから。自分が育ってきた環境とかをすごい感じてて。感じたのは、商店街の風景つーのが小学校から中学校くらいまでにすごい変わったんですよ。それは具体的に言うと小泉総理が出てきたときに変わったと思ってる。今から言えば。じいちゃんばあちゃんが床屋をやっていて、その商店街の人たちが地域社会を作ってきたんだけど、それがコンビニとか大型ショッピングセンターできたときに風景がガラッと変わった。俺が駄菓子屋に行っとったときの後輩が、コンビニで駄菓子を買い始めたような感じになっていって。それがすごい自分の中にあって。そういうものに憧れるっつーか。なくなっていくものに対しての憧れもあるし。子供のときに床屋で待ってたり、そういう所でお客さんとかがいてしゃべっている風景とかも離れていくというか。そういうものに対してのものもあって。それを自分の中で追いかけているっていうところもある。俺はそれを大切なことだと思うから。俺はグッときているから描いていると言っているかもしれないけど、ちょっと使命感的な所で描いて展示をしているっていうのもなくもない。

齋藤:俺はそういうところで松本竣介に近い目線を感じるんですね。

平間:でも作村が追いかけているっていうのは普通の意味とはちょっと違っていて、多分Taxxaka(高橋辰夫)さんからしたら追いかけ過ぎているということだと思う。いわゆる今の二十代の人間が追いかけている以上に追いかけているんじゃないかと思っているんだよ。いきなり昭和に入っているみたいな(笑)。追いかけている地元の商店街の風景がいきなり地元を超えて、もうちょっと一段階古いところに行っているんだよね。というのは僕も思いますけどね。そこがシミュレーションっぽい。

齋藤:象徴化された昭和よりもさらに古い段階に。

会場(高橋辰夫):《中野の酒場》は実際にああいうバーなのかもしれないんだけど、あれを見ると1930年代のバーかと思っちゃう(笑)。

会場:(笑)。

平間:作村裕介(108歳)みたいな(笑)。もう死んでいるんじゃないかみたいなのがある。

会場(高橋辰夫):この展示、相当前の巨匠の回顧展みたいな。

会場:(笑)。

会場(高橋辰夫):わかるけどすごい不思議なんです。

平間:そうなんですよ。わかる気もするけど、それちょっと行き過ぎなんじゃないのっていうのはあるよ。多分誰にもあると思うな。

齋藤:これが平成20年代のものを見て描いているっていうことが、結構捻くれた感じで魅力になっているんじゃないかな。

会場(高橋辰夫):《御徒町のガード下》にしたって、3000年の絵ですって言われても、もしかしたら通用するかもしれない。

平間:SFチックな。

作村:いやもちろん、平成生まれのアーティスト的な感じの感覚にものすごい憧れるっっていうところはあって。齋藤さんがやっていた「間欠泉」(※16)とかで活躍されている作家とかと俺は全然違うタイプの絵で。最近の人間なのにって。こうやってみんな現在の絵を描いてるのに、俺はこういうのを描いていて大丈夫なのかなって思う。

会場:(笑)。

平間:そうだよね。

作村:「間欠泉」とかでやっとる人たちを見て俺は全然かけ離れたことをやっとって、すごい置いてかれとるというか。きゃりーぱみゅぱみゅとか本当にもうすげーなって思うんですね。感覚として全然無い感覚だから。

会場(高橋辰夫):僕から見るときゃりーぱみゅぱみゅと作村くんはそんなに遠くないんですよ。

平間:シミュレーションっていうことでいうと。なんていうか、方向は違うけど。

会場(高橋辰夫):方向は違う。

齋藤:そう考えるとすごい作村作品の間口が広がるよね。

会場(高橋辰夫):わざわざテレクラの看板を描く感覚が新しい。

平間:しかも木版画でっていう。でもグッとくるっていう視点で本人の中では完全に同じものとして繋がっているんだよね。

作村:そうそうそう。

会場:すいません。普通版画って刷った内の何枚って書いてあるんだけど、これは?

作村:この《釜ヶ崎のクマさん》はA.P.で、自分の持っている作品で。他は1/5って書いてます。1/5って書いてある作品以外は、自分の作品も飾ってあとは刷って売りますっていう。限定5枚だけだけど。

会場:でも版画ってある程度刷った方が良くない?版が慣れてきて。

作村:そういうの知らないから。そういう質問は困ります。

会場:(笑)。

平間:でも作村自身は刷るのはもちろんだけど、彫る方がなんかグッときている感はあると思った。

作村:あーそうだね。

平間:三角刀しか使っていないとか彫るところの話は結構出ているから。やっぱり彫っているときの木を削っている感が好きなんじゃないかな。

作村:そうだね。うん。

会場(高橋辰夫):現場で彫るっていうのはおもしろそうですけどね。

作村:あーそれはあるかもしれないですね。

平間:あるかもしれないんだ(笑)。これまで素材を変えてきたように、ここから変わるっていうことはありうるからね。

作村:っていうか俺本当に今思ったんだけど、質問されたら困りますね。

会場:(笑)。

作村:シミュレーションという言葉とか言われても俺そんなこと考えてないっつーか、これが好きでやっているから。仕事場で昭和歌謡とかを車の中で流したりして「なんで好きなの?」って言われたら、めんどうくさいから「昭和が好きなんですよ」って言っとるけど。単純にそれもあって。

会場(高橋辰夫):社会は今、ショッピングモールが増えて既成の商店街がどんどん畳んでいくし、老人がどんどん増えて超高齢化になってきてる。それは寂しいっていう感覚は僕にもあるんだけど、それはどうしようもないじゃないですか。そういうことについてどう思いますか?

作村:いやですね。そういう感覚は多分誰よりも強いって思っています。

齋藤:誰よりも強い。

作村:なるべくならそういう小売店とか商店街とか床屋とかに、お金を落としたいなっていうのはやっぱりあるし。多分みんなそう思っとるんじゃないかなって。

会場(高橋辰夫):でもじじばばになってしまうと、やはりウォシュレットがないと嫌だなあとか、最近はそれもわかる歳になってきたんですよね…。

作村:そういう便利なものとの矛盾との戦いはありますよね。だって俺昭和の最後の生まれの方だから、テレビもあるしポットもあるし。昭和30年に生まれた人間じゃないから、やっぱりそういう昔がいいからって電子ジャーを使わんで、全部かまどで米を炊いたりとかそういうことはしないですけど。

会場(高橋辰夫):そうですね。そこはどっちを取るかではなくて、どっちも正しいですよね。

齋藤:そうそう。

会場(高橋辰夫):作村さんの絵には、そうしたジレンマを伴って、見ている人に迫るところがあって、そこは凄いなと。

齋藤:あー、そこはすごいいいですよね。

平間:それは今回の素材の木版画とかね、そういうところからも出てくるんだと思うな。

齋藤:確かにそういうことに対して自分がどう態度でいるのかっていうのが、作村の絵を見て感じさせられるところはあるかもしれないですね。

平間:というぐらいで今晩は。

齋藤:質問はちょっとやめるか。

平間:そうだね。段々ピンチになってくるからね(笑)。

作村:俺考えていることがブログで言っていることと一緒だから、それ以外はないんですよ。こういう大事なものがあって、俺はそういう人間の野性的な部分を見たいっていう、それだけで。世の中のそういう広がりとか、それとは関係ないです。

平間:そうだね。昭和の最後の方生まれで、地方出身者で現在東京在住で、そしてかなりモーレツな気概を持っている人間が、今は木版画をやっている。多分それ以外は何もないんじゃない。

作村:そうですね(笑)。そうかもしれない。

平間:(笑)。

作村:ではこんなところで。

平間:じゃあ個展初日の挨拶を最後に。

作村:今日は来ていただいて、どうもありがとうございます。僕はこうやって自分の作品について話すのは一人では難しくて。

平間:ちょっとね苦手だということで。

齋藤:(笑)。

平間:それで平間と齋藤を呼んだいうことで。

齋藤:お前が全部言ってるじゃん。

平間:(笑)。

作村:平間さんと齋藤さんがこういう奥行きのある話をしてくれて。俺は本当に、

平間:表面的な(笑)。

作村:表面的なことしか、薄っぺらいことしか言えないですけど(笑)。だからそういうことです。今の話はすごい良かったんですけど、一番大切なのは、もう本当に二人には申し訳ないんですけど、そういうこと抜きにして作品を見て欲しいということです。

会場:(笑)。

作村:だから今の話を置いといて作品を見て、それであんなこと言っとったなぁみたいなことを思い出していただければ。

平間:だから作村の展示の場合、作村の絵が僕らが後からつけた話の挿絵になるわけじゃなくて、絵の方が中心になっているわけだから、そうやって見てねってことだね。

作村:そうそう。そうです。いやでもありがたいですね。

平間:感謝ということでおしまいでよろしいでしょうか?(笑)。

作村:うん。だからみんながどういうふうに見たのかなっていうのはすごい気になる。自分が床屋とかそういうものが好きで、そういうものに憧れて描いとるっていうのを、勘違いしてもいいけど、みんながどう見てくれたんかなっていうのはすごいある。今日はどうもありがとうございました。

会場:パチパチパチパチパチパチパチ


出演者プロフィール:

作村裕介
1986年富山県生まれ。画家。主な展示に2008年『作村裕介展』KEY GALLERY、2010年『作村裕介の「うっ〜ん、モーレツッ!!スケッチ!!!」展』アートスナック番狂わせ、がある。その他にも貝塚歩との二人展『生きる喜び』、また2011年には初の画集『男は黙ってスケッチブック!!!』も発刊。
近年はモーレツッ!にグッと来た風景や、人をその場でスケッチしている現場主義の画家。野性的にギラギラ生きる人間の姿に魅せられ、下町の大衆酒場、銭湯、八百屋など時代から段々と淘汰されていくものをモチーフにする事が多い。
そのスケッチと文章はブログ『作村裕介のうっ〜ん、モーレツッ!!』に連載中!!
http://mo-retsu.jugem.jp/

齋藤祐平
1982年新潟県生まれ。主に平面作品を感覚的に制作。制作した絵画がどのように発表されうるか・鑑賞者の頭の中でイメージがどのように流通しうるかについても留意し、作品を通して様々な活動を行う。
…フリーペーパーの制作、ゴミ捨て場での展示、路上での自作印刷物交換会「Paper Talk」開催、自作の絵を使用したライブパフォーマンス、商店街の空き物件や引越し前/後の空き部屋を使用したギャラリー「場所と出来事」運営、CDジャケットやイベントフライヤーの制作、郵便物リレー転送イベント「COMPO」開催、ライブペイントイベント/展覧会「間欠泉」開催など。平間貴大・アサとの「Night TV」、淺井裕介との「聞き耳」、郡司侑祐・およ・アサとの「OPAOPA」(現在は脱退)のメンバーとしても活動。
作品画像や展示風景写真などをまとめたホームページ「羅布泊」は http://lopnor.archive661.com/